ませんでした。ここでも、教会は、信仰を表明できなかったのです。

  そして、「神社が宗教でなければ、神社から、宗教的な色彩を除いてほしい。また、神社の宗教行為を強要しないでほしい。そして、国民各自の良心の自由を重んじてほしい」としたのでした。このように、自らの見解を述べることなく、当局に判断をゆだねたのです。極めて消極的でした。
  ところが、この進言に名を連ねた、日本ホーリネス教会は、もっと極端な「神社参拝否定」に傾いていました。「神社を一つの宗教と認識する」という議案を採択し、中田重治は、「わが教会員は、決して神社参拝をしない」と断言しました。強硬な神社参拝反対論をとったのです。

  この背景には、同じ1930年に、満州の安東(あんどん)で生じた、ホーリネス教会員による神社不参拝事件がありました。同年、4月5日に、安東高等女学校の職員と生徒は、安東神社に参拝し、玉串を献じました。しかし4名の生徒(ホーリネスの信者)は学校に居残り、参拝しなかったのでした。その生徒は、「ふたりの神に仕えることはできない」と、信仰を表明しました。
  さらに、5月1日の参拝にも、さらに2名増えて、6名の生徒が、無断欠席をしました。学校側は、6名に説諭を加えましたが、それに同意しなかった4名を出校停止処分としました。

  これに対して、安東ホーリネス教会福音使吉持久雄が抗議して問題にしました。同校々長は安東日基教会員であり、他にも教員中にフリー・メソジストの元牧師がおりました。つまり、これは、クリスチャン同士の意見の相違で
した。
  しかし、安東の氏子総代会は、教会の家主に教会立退きをせまり、またホーリネス派の安東よりの撤退、吉持福音使の退去などを要望したのでした。

  吉持福音使は、「神社は現状では明らかに宗教であり、キリスト教信仰の立場からは、いかなる神社に対しても参拝せず、また敬意を表することもできない」と言明しました。
  困惑した関東庁は、東京のホーリネス派の監督、中田重治に吉持福音使の転任を要求しましたが、中田は、事は憲法二八条に関する重大問題であるゆえ、軽々しく処置できないと返答しました。

  中田は安東神社参拝事件にふれ、安東の会堂建築の必要を信徒に訴え、「これは満州の入口なる安東県の問題のみではない。信教自由戦のために、あくまで踏みとどまらねばならぬところである。どんなことがあっても引き揚げるわけにはいかない」と強い決意を示したのでした。
  しかし、神社問題をめぐるキリスト教界全体の対応は、次第に後退を余儀なくされて行きました。神社参拝は国民精神統合の重要な一翼を担うものとされ、キリスト教徒の中にも、参拝を宗教的意味のない儀礼だと考える者が、多数を占めるようになってきたのです。

  ホーリネス教会では、中田監督が、神社参拝をした教会員には退会を命ずるという方針をうち出しましたが、そうした教会ぐるみの毅然とした拒否の姿勢は、ますます影をひそめて行きました。
  「神社は英雄、国家的恩人を記念する所として何人も衷心より敬意を表すべきものである。特に皇室に関係深き神